無批判な「自分の頭で考えよう」はポピュラリズムを煽るのか?
どうも、Glocal Lifeです。
今回の記事では「自分の頭で考えよう」の危険性を考えてみました。
- 作者: ちきりん,良知高行
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2011/10/28
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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2種類の書評記事
今回の記事のきっかけとなったツイートは、こちらです。
最近は電子書籍でメモが取りやすくなったため、ネットに感想を書く際、「本を読んで自分が考えたコトを書いてる人」と、「本を読んで、著者が考えたことのうち自分がへー!って思った部分をコピペする人」が完全に分岐してる。前者は「自分の思考結果のアウトプット」、後者は「他者の思考結果の掲載」
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) 2016年12月20日
オピニオン記事と書評
あ〜!これ、本当にその通りだな!
前回の記事で書いたけど、
私の書評記事は「自分の思考結果のアウトプット」なので
「本を読んで自分が考えたコトを書いてる人」のタイプだ。
ただ「本を読んで、著者が考えたことのうち
自分がへー!って思った部分をコピペする人」
(ちきりんさんのいう「他者の思考結果の掲載」)を好む人もいるよなぁ〜
ちきりんさんとの距離感
ちきりんさんは、最近フォロー外したんだけど、
この人はやっぱり鋭いというか、頭がいいなぁ〜と思うコメントも多い。
まあ好き嫌いはあると思うけど、私はわりと好きです。
ただ全部は賛成できない分もあるから、距離感は考えるけど。
一番の違和感は、彼女の資本主義に対する考え方だな。
この件に関しては、この本の内容を踏まえて、また書きます。
限界費用ゼロ社会―<モノのインターネット>と共有型経済の台頭
- 作者: ジェレミー・リフキン,柴田裕之
- 出版社/メーカー: NHK出版
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自分の頭での考える浅薄さ
上記のちきりんさんのツイートの指摘は鋭いと思うけど、
私はちきりんさんのように、
「他者の思考結果の掲載」を否定する気にはなれない。
自分の思考結果のアウトプットは大事だけど、
本の内容を正しく理解していないと
「自分の頭での考えよう」は
浅薄な結果になる可能性も高いからだ。
詳しくはこちらをどうぞ
読書の3つの段階
結局は
①きちんと著者の主張を理解する
②自分の頭で咀嚼する
③自分の思考結果のアウトプットする
の3つの段階が大事だけど、
そこまで到達できる人は少数なんじゃないだろうか?
①や②の段階だって別に悪くない。
一番悪いのは①や②の段階を飛ばして③へ向かうことだ。
トランプがやってるのはソレだ。
自分の言いたいことだけ言う
「悪魔も聖書を引用する」という諺があるように、
本の内容をきちんと理解しないで、
自分の言いたいことだけ言うというのは、
本の内容を悪質に歪曲することにもなり、
「post-truth」の最たるものだ。
「客観的な事実よりも感情的な訴えが政治的に影響を与えること」を意味する
「Post-truth」がオックスフォード辞書の今年の言葉に選ばれた。
学術的かつ世相を反映していて興味深い。
日本の流行語大賞も見習えばいいのにと思う。
ポピュラリストを生み出す危険
ちきりんさん自体は優秀な人だが、
彼女が「自分の頭で考えよう」と煽っているのは、
ポピュラリストを生み出す危険な土壌でもある。
彼女がもしそれを知っててやってるなら悪質だと思う。
結局はA1理論さんの言っているちきりんさん評が的を得ていると思う。
彼女はすごく優秀な人だが、それは才能でもある。
全ての人が彼女と同じようにできるという風に煽っているのは危険だと思う。
そういう面で、私はphaさんの方が好ましい。
ターゲットにしている読者は誰か?
ちなみに、ちきりんさんに対する評論は、
この記事も的を得ていると思う。
結局は「ターゲットにしている読者は誰か?」という問題だ。
phaさんは、それを明確にしているが、
ちきりんさんは大衆向けにマーケティングしてる。
そこをもっと明確にすべきなのかもしれない。
適切な境界線が引けない読者
ただ、これはちきりんさんの問題よりも
読者の問題なのかもしれない。
きちんと自分を確立している人間は、
自分に必要な本は何かを理解できるし、
ジャンル違いの本とは距離を置ける。
自分が確立していないと、
適切な境界線が引けないから、
本に書かれたことを盲目的に信じるか、
自分に当てはまらない場合は、感情的に反発する。
自分はどんな人間か?
たとえ、自分には当てはまらなくても、
世の中の他の人にとって、有益な情報はあるので、
感情的な反発をするよりも、
冷静に自分の境界線を引けばいい。
今の日本人に一番必要なのは、
それぞれの人が「自分はどんな人間か?」を
きちんと理解すべきだと思う。
人間関係や仕事の悩みも
自分自身が理解できていないことが原因の場合も多い。
日本人だから、みんな同じ?
「日本人だから、みんな同じ」なんて思ってるから、
多様性を尊重できずに、同調圧力をうむ。
そして、それが強者だの弱者だの
嫉妬や恨みのルサンチマンの話になってしまう。
「上あっての自分、下あっての自分」だから
上下関係がないと自分を見失う人間が、
日本には多いんじゃないだろうか。
上下関係なんてなくても
「自分は自分」と確立できている人が少ない気がする。
自己理解→本物の個性
自分を確立するということが、人権の基本だ。
自分で自分のことを、きちんと理解していなければ、
個性なんか持ちようがない。
「卑屈にならずに自分は自分だと胸を張れ」
「自分と違う他人の個性を嫉妬なんかせずに素直に賞賛し尊重しろ」
というのを私は16年間の米国生活で学んだ
「好き嫌い」で終わる危険性
ちきりんさんの「自分の頭で考えよう」は、
きちんとした思考のプロセスを経ずに、
単なる「好き嫌い」で終わってしまっている人が多いことが危険だ。
ただこれも彼女のせいではなく、
人間として未成熟な読者の問題かもしれないが…
知識がない思考は可能か?
思考と知識を混合している人が多いのは、その通りだな。
ただ問題は、知識がない思考が可能なのかどうかだ。
「自分のアタマで考えよう」に書いたように、「自分のアタマ」で考えるのが思考、「他者がその人のアタマで考えたことを学ぶ」のは知識。思考と知識はぜんぜん異なるものです。知識を得たい人と、思考力を身に付けたい人がやるべきことはまったく違う。ってことを理解しておきましょう。
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) 2016年12月20日
知識と思考の関係性
私は知識と思考は、井戸と水のような関係だと思う。
井戸だけあって水がなければ無意味だが、
井戸がないと水は存在しない。
同じく、思考のない知識は無意味だが、
知識のない思考は本物ではない。
知識のない思考がもてはやされる
知識のない思考がもてはやされているのが、
今の「post-truth」の時代の問題なのだと思う。
「post-truth」とは「世論形成において、客観的事実が、
感情や個人的信念に訴えるものより影響力を持たない状況」で
ファシズムの温床として危険である。
個性と人格の違い
結局は「post-truth」の時代とは、
マーケティングを重視して
「目立つためなら何をしてもいい」と
「個性」を前面に押し出して
「人格」の重要性を軽視した20世紀の弊害が
最悪の形で露出しているのかもしれない。
個性と人格の違いについては、
この本の洞察が鋭かったです
多種多様の才能
「人の話をニコニコ聞ける才能」とか
世の中には多種多様の才能があって、
それを認めて伸ばす社会が豊かだと思う。
お金儲けに直結する才能ばかりを偏重するのは
少し残念に感じる。
結局自分を理解していないと、自分の強みも分からない。
自分に自信がないと、簡単に他人に嫉妬をする。
負のスパイラルだ。
ちきりんさんはエッセイスト
一つの結論として、
私はちきりんさんは「エッセイスト」として読むのが正しいと思う。
研究者としての専門性はないが、
自分の興味のある社会の様々な出来事に
コメントするのが上手な人だ。
彼女の直感は鋭いが、学者として専門性がある訳ではない。
あくまでも「彼女個人の意見」として、
自分の頭で良し悪しを判断した方が価値的だろう。
個人メディアの役割
私は個人ブログとは
「一個人の私的な見解を発表する場」だと思っている。
個人メディアの役割とは
「公的なモノ」を「私的なモノ」に翻訳することだと思うからだ。
ちきりんの個人的の意見
ブロガーとして出発して文筆業を出発したちきりんさんが書くものは、
彼女個人の価値観によって形成された「ちきりんの個人的の意見」として、
それぞれが受け入れた方が価値的だと思う。
彼女自身も、そのように心がけているように思える。
詳しくはこちらの記事をどうぞ。
まとめ
以上、今回の記事では、
「自分の頭で考えよう」の危険性を考えてみました。
- 作者: ちきりん,良知高行
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多様な意見の一つとして、
少しでも皆様のご参考になれば嬉しいです。
これからもGlocal Lifeをよろしくお願いします。