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両親の不和と産まれてきたことの罪悪感

どうも、Glocal Lifeです。

今回の記事では、両親の不和と産まれてきたことの罪悪感について考えてみました。

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両親の不和

以前にお父さんとお母さんの離婚について、口を出したことがあります。


たぶん、私がこだわっていたのは

「お父さんとお母さんの仲が悪いのだったら、

私はお父さんとお母さんが愛し合って産まれた子供じゃない」という部分で、


「私はお父さんとお母さんに望まれて産まれてきた子供なんだろうか?」という部分に

自信が持てなかったんだと思います。

宙ぶらりんの気持ち

お父さんとお母さんが、離婚するのか、

それとも夫婦としてやっていくことを選択するのかが、はっきりすれば、


私の宙ぶらりんの気持ちも、

どこかに落ち着くように錯覚していたんだと思います。


「お父さんとお母さんの仲が悪いのだったら、

私はお父さんとお母さんに望まれて産まれてきた子供なんだろうか?」の答えを、

お父さんとお母さんに求めてしまうのは、自然な感情かもしれませんが、


前回の記事で書いたように、

究極的には、自分が生きててよかったかどうかは、

自分自身が決めるものなのかもしれませんね。

両親の愛情

ちなみに私は、お父さんとお母さんが、

私を愛していてくれたことは、身を以て知っていますし、

お父さんとお母さんの愛を疑ったことはありません。


ただ「私はお父さんとお母さんに望まれて産まれてきた子供なんだろうか?」という部分に

自信が持てなかったんだと思います。

兄との関係

うちの場合は、お兄ちゃんのこともあったから、

事態はもう少し複雑だったのかもしれません。


お兄ちゃんは、お母さんの初めの旦那さんの息子で、

お兄ちゃんが中学生ぐらいの時に、

お母さんがお父さんと結婚して、私たち3人の子供が産まれました。

産まれてきたことの罪悪感

私たちが物心がついた時は、すでにお兄ちゃんとお母さんとお父さんの関係は悪化してて、

お兄ちゃんは一方的にお母さんと絶縁していました。


私たち3人が産まれてこなかったら、

お兄ちゃんとお母さんとお父さんの関係も、

もっと違ったものになっていたんじゃないかという気持ちも捨て切れません。


そういう面での「産まれてきたことの罪悪感」みたいなのは、

もしかしたらあったのかもしれませんね。

キリスト教の「原罪」

こういうことを考えると、

キリスト教の「原罪」という考え方に、

共感する部分がない訳ではないと思ったりもした。


ただ、こういう考え方が、

好きか嫌いかで言ったら、好きじゃない。


「産まれてきたことの罪悪感」を感じるなんて、馬鹿らしいと思う。

まとめ

という訳で、今回の記事では、

両親の不和と産まれてきたことの罪悪感について考えてみました。


多様な意見の一つとして、

少しでも皆様のご参考になれば嬉しいです。

これからもGlocal Lifeをよろしくお願いします。

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