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核兵器の非人道性への国際議論の高まり!世界市民意識の育成が大事!

どうも、Glocal Lifeです。

今回の記事では、核兵器の非人道性について考えてみたいと思います。

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1万5000発以上も核兵器が存在

この記事で、ノルウェーでの核廃絶に向けた

シンポジウムについて知ったのですが、

そこでのメッセージに心が打たれました。

www.nuclearabolition.info

「核兵器は、ひとたびそれが使用されれば、

壊滅的な結末を招く非人道的なものであり、


実際にそれがどのような取り返しのつかない被害をもたらすのかを、

私どもは、広島と長崎の惨劇から深く胸に刻みました。


しかし、核兵器廃絶への足取りは遅々として進まず、

世界には、いまなお1万5000発以上も核兵器が存在しています」

核兵器の非人道性と法的禁止への交渉

国際社会では今、核兵器をめぐる議論に大きな潮目の変化が起きています。


とりわけ2013年からのオスロ、ナヤリット、ウィーンでの

3回にわたる国際会議での議論を通じ、


核兵器の非人道性に対する懸念が広く共有され、

その法的禁止に向けた交渉開始を求める声が高まりを見せています。

2017年に核兵器禁止条約の交渉を開始?

この8月には、ジュネーブでの国連作業部会で、

2017年に核兵器禁止条約の交渉を開始するよう

国連総会に勧告する報告書が、

広範な支持を受けて採択されました。


まさに、核兵器の廃絶に向けた正念場ともいえる

歴史の節目を迎えています。


この重要な時に、私たちは核兵器の問題をどう考え、

その非人道性を踏まえて、

どのような具体的な手だてを生み出していくのか。


その重要な選択が、同じ地球に生きる私たちの手に委ねられています。

核兵器の非人道性の核心

核兵器の非人道性の核心は、

その圧倒的な破壊力だけにあるのではありません。


幸福な人生を歩むためにどれだけ人間が努力を重ねようと、

長い時間と労力をかけて文化と歴史を育もうと、

その一切を一瞬にして無意味なものにしてしまう。

この言語に絶する“理不尽さ”にあるのではないでしょうか。


それは、人間性の否定であり、

民衆の生存権を根源から脅かすものにほかなりません。

核兵器は平和のために必要?

多くの日本人と同じく、

私も「核兵器」と聞くと、

広島と長崎の原爆記念館を思い出します。


子供の頃見たあの展示は、

トラウマになりそうなほどショックでしたね。


「核兵器は平和のために必要だ」等と主張する人に

アメリカに来てから、何人も会ったのですが、

そういう人にこそ、

広島と長崎の原爆記念館を訪れてほしいと思います。

核抑止論から核兵器の非人道性へ焦点が移る

以前は核兵器の国際議論は

「平和のために抑止力として必要かどうか」という

核抑止論に集結されることが多かったのですが、

最近は核兵器の非人道性へ議論の焦点が移っているのは、

すごく良い傾向だと思います。


広島と長崎の原爆記念館を訪れて感じるのは、

「人間が人間にこんなことをするのを許してはならない」という一点ですね。


「No More Hiroshima, No More Nagasaki」というモットーも、

「同じ人間として、同じ苦しみを、悲しみを、二度と誰にも味わわせない」

という被爆者の方々を始めとする血涙したたる決意じゃないかと思うんですよね。


同じことを、私は韓国の独立記念館や、

中国のハルビンの731部隊跡地に建てられた資料館を

訪問した時にも思いましたね。

独立紀念館

731遗址网

731部隊 - Wikipedia

一人の人間として、他の人間の苦難に心を痛める

原爆の話をすると、

アメリカ人が「あれは戦争を早く終えるために必要だった」と

自己弁護的に主張するように


(実際は真っ赤な嘘です。

原爆投下の時点で、戦争の集結は明らかでした。


原爆投下は、終戦後の米ソ対立を見据えて、

ソ連より自分たちの方が上だと誇示する

デモンストレーション(示威行為)に過ぎなかった)


日本の戦争責任を頑なに認めようとしない人間は、

「一人の人間として、他の人間の苦難に心を痛める」という気持ちよりも、

「日本人として、日本の体面を守らなければならない」という気持ちの方が

強いのではないかと思います


要は「一人の人間として」と考えるよりも、

「日本人」としてとしか考えられない。


これは、このグローバル化の時代に残念なことだなと思います。

幕末の日本から考える国民意識と世界市民意識

国民意識と世界市民意識については、

こちらの過去記事に詳しく書いたのですが、

幕末の日本を思い出せば、理解しやすいかもしれない。


幕末の日本では「〜藩」という意識はあったが、

「日本人」という意識は気薄だった。


今の世界も国民意識ばかりが発達して、

世界市民意識を持っている人が少ない。


現在のように、これだけ一体化が進んだ世界では、

環境問題一つをとっても、

一国で解決出来る問題ではないので

「地球は、私達全員にとって掛け替えのない故郷である」

という世界市民意識の養成をしないと、

人類は滅びるんじゃないかと思う。

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まとめ

という訳で、今回の記事では、

核兵器の非人道性への国際議論の高まりを考えてみました。


結論としては、

核兵器をめぐる国際議論が、

冷戦時代からの旧態依然とした核抑止論から、

核兵器の非人道性へ焦点が移ったのは、好ましく思う。


ただ、その議論を後押しするのには、

国民意識を超えた世界市民意識の育成が大事なんじゃないか?

ということでした。


多様な意見の一つとして、

少しでも皆様のご参考になれば嬉しいです。

これからもGlocal Lifeをよろしくお願いします。

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