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キリスト教と仏教の黄金律の比較!他人との距離感の違いを考える

キリスト教の黄金律(Golden Rule)としては以下のマタイ伝の一節が有名だ。

人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい

(『マタイによる福音書』7章12節,『ルカによる福音書』6章31節)

黄金律 - Wikipedia

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道徳としての宗教文化

己の欲せざるところ、他に施すことなかれ

(『論語』巻第八衛霊公第十五 二十四)

という孔子の教えと同じだが、


キリスト教が現代アメリカ社会に生きているほどには、

この孔子の教えは、現代日本社会では効力を発揮していないだろう。

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仏教の黄金律

仏教にも造詣が深かった恩師が

(彼の考える)仏教の黄金律として紹介してくれたのは、

他人の不幸の上に自身の幸福を築くな」ということでした。

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私のブログのポリシー

私が自分のブログで、

「どんなにアクセスが増えたり、収益になっても、

読者に不利益になったり、社会に悪影響を与える記事は書かない」

という自分なりの一線を超えないためのポリシーを定めているのは、

この恩師の言葉の影響が大きい気がします。

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キリスト教の黄金律との比較

キリスト教の黄金律も、孔子の黄金律も、

どちらも素晴らしいので、批判するつもりは毛頭ない。


ただ私が自分の生き方としては、

恩師の教えてくれた(彼の考える)仏教の黄金律が

一番しっくりくる。

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人によっては余計なお世話

私から見たキリスト教の黄金律の問題は、

「人にしてもらいたい」と思うことは、

人によって違うということだ。


自分にとっては「相手のために」と思ってやったことが、

その相手にとっては「余計なお世話」かもしれない。

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仏教の黄金律の方が馴染みやすい

私は自分の価値観を人に押し付けたくないし、

人の価値観を自分に押し付けられたくないので、


私にとっては、キリスト教の黄金律よりも、

恩師の考えた仏教の黄金律の方が馴染みやすい。

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他人の距離感は人それぞれ

ただ自分と他人の距離感は人それぞれなので、

「善意の塊のようなお節介焼きおばさん」のような人は

キリスト教の黄金律を模範に生きていて、


それはそれで私には真似できないが、立派な生き方だと思うので、

別に一概に仏教の黄金律の方が

キリスト教の黄金律より優れているなどと主張するつもりはない。

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人間として立派な生き方

他人に対して、思いやりと誠実をもって接して、

相手の言い分にも耳を傾けることができるなら、


別にどの宗教の黄金律を持っていようが、

人間として立派な生き方ができると思う。

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無宗教であっても、自分の価値基準を明確にする

キリスト教など確固たる信念を持っている人に対しては、

彼らの宗教的理念を、きちんと尊重することが大切だ。


もし彼らを批判したいなら、たとえ無宗教であっても、

まず自分の価値基準を明確にした上で、

彼らの宗教的理念に物を申すことは最低限の礼儀だろう。


無宗教で自身の信念もないくせに、

他人の生き方に文句をつけるだけの人間には

自分はなりたくないと思う。

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まとめ

今回の記事では、キリスト教と仏教の黄金律の比較して、

他者との距離感の違いを考えてみました。

少しでも読者の皆様の思考の糧になれば嬉しいです。

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