今の日本で他人へのジャッジメントが渦巻いている理由を考えてみた
どうも、Glocal Lifeです。
今回の記事では、日本社会でジャッジメントが渦巻いている理由について考えてみました。
トラウマの現実に向き合う
水島広子の著作では「トラウマの現実に向き合う」が一番好きだ。
トラウマの現実に向き合う:ジャッジメントを手放すということ (創元こころ文庫)
- 作者: 水島広子
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特に今の日本でジャッジメントが渦巻いているのは、
トラウマで傷ついている人が多いからではないかという指摘は鋭いと思う。
これはアメリカと比較しても十分に納得できる。
全くトラウマがない人は、そもそも他人をジャッジなんてしない。
恐怖に基づく防衛反応
誰かにジャッジされて傷ついたから、その人も他の人をジャッジするようになる。
ジャッジメントは、トラウマで傷ついた人の恐怖に基づく防衛反応なのだ。
その悪循環を止めるには、トラウマを癒すしかない。
心の傷が癒えれば、誰でも自然にジャッジメントは手放せる。
ガンジーの非暴力運動
ガンジーは自身の非暴力・非服従の運動を
「サティヤーグラハ」(真理の把持)と名付けた。
真理を把握し堅持するためには、
まず自分自身の不安の根底にあるものと向き合い、
心の傷を癒すことから始まる。
ガンジーは癒された心からしか非暴力は生まれないと信じていた。
これは仏法のアプローチにも近い。
暴力は傷ついた心から生まれる
ガンジーの言うように、暴力は「傷ついた心」から生まれると思う。
身体的暴力だけでなく、
言葉の暴力や、他人に対するジャッジメントや、いじめなども同じだろう。
ガンジーは非暴力を訴えたが、それは確固たる信念に基づいた非服従に裏付けられたものだ。
いかなる人権侵害にも、断じて屈するべきではない。
盲従は精神の死
アメリカの黒人女性作家のアリス・ウォーカーは、
「いかなる形であれ、他人に無条件に従うことは、精神の死である」と述べた。
日本では「世間の言うことだから」と
自分の頭で考えずに、盲目的に従っている人間は多いと思う。
そういう土壌で人権意識が育つはずがない。
詳しくはこちらの記事をどうぞ。
怒りの感情には2種類ある
怒りの感情には2種類あると思う。
自分のエゴのための怒りは、
自分自身の弱さから目を背けるために他人を攻撃しているにすぎない。
ただ自分を含めて誰かの人権が侵害されている時は、大いに怒るべきだと思う。
そこは許してはならない一線だ。
人権というのは守るために闘わなければ、失ってしまうからだ。
トラウマと人権侵害
ちなみにトラウマを論じる時は、
単発的なトラウマ体験と複雑性PTSDを明快に区別すべきだと思う。
自然災害や親しい人の死別など、
単発的なトラウマ体験は、数ヶ月で自然に治癒する。
複雑性PTSDを発症する人が苦しんでいる多くの場合は、
児童虐待やDV被害など、
人間として許すべきではない「基本的な人権の侵害」なのだ。
多くの時間が必要
このガンジーの言葉も、すごく良い言葉だなと思った。
自分のためでなく人々のために働く人は、いたずらに急がない。なぜなら、人々が良きことを受け入れるには、多くの時間が必要なことを知っているから。(『ガンディー 魂の言葉』)
— ガンディー 魂の言葉 (@gandhi_tamashii) 2017年2月9日
まず自分自身を癒す
もし今の世界の様々な問題が
「心に傷を負っている人が多くいる」せいなのだとしたら、
その傷を癒すには時間がかかる。
しかし、目の前の一人の傷を癒すことは、決して無駄にならないと思う。
癒された一人は、その周囲の人間にも影響を与えるからだ。
まず自分自身を癒すことから、全ては始まると思う。
まとめ
という訳で、今回の記事では、
日本社会でジャッジメントが渦巻いている理由について考えてみました。
多様な意見の一つとして、
少しでも皆様のご参考になれば嬉しいです。
これからもGlocal Lifeをよろしくお願いします。