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誰かを亡くして悲しんでいる人への寄り添い方!グリーフケアを学ぼう

どうも、Glocal Lifeです。

今回の記事では、誰かを亡くして悲しんでいる人への寄り添い方について考えてみました。

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大切に抱きながら生きていく

以前の記事で詳しく書きましたが、

大学院時代の先輩が、交通事故で亡くなって、すごいショックでした…

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その時、Twitterで交流のある方から、

この記事を教えて頂いたんですが、

本当に素晴らしくて感動しました。


グリーフケア

アメリカでもグリーフケアは人気ですが、

自分の身近になかったので、

すごく勉強になりました。


ちなみに、グリーフケアとは、

(別名)悲嘆ケア

子どもだけでなく、配偶者、親、友人など大切な人を亡くし、

大きな悲嘆(グリーフ)に襲われている人に対するサポートのこと。


死別で起きる悲嘆の反応には怒り、事実の否認、後悔や自責の念などがあり、

時には不眠や食欲不振といった体の不調に出ることもある。


グリーフケアでは、対象者が事実を受け入れ、

環境の変化に適応するプロセスを支援する。


医療従事者や心理士などの専門家のほか、

自助グループも担い手になる。


1960年代に米国で始まったとされ、

英国やドイツなどでも広く浸透している。

グリーフケアとは - はてなキーワード

グリーフケアとは共感から生まれる

この記事の中の、こちらの一節が、

本当に共感しました。

「グリーフケアはするものではなく、

誰かを亡くして悲しんでいる人と、

その人を大事に思っている人との間に、

生まれてくるもの」

soar-world.com

記事自体も長文なんで、

私が個人的に感動した部分を抜粋させてもらいますね。


特に共感したのは、この3点です。

①悲しみと喜びを分けない

②ないからこその人生って、絶対あるはずです

③あなたと私の境界

以下、一点ずつご紹介します。

①悲しみと喜びを分けない

「悲しみと喜びを分けない。

悲しみは一色ではないというか、

悲しみの中には

悲しいからこそのつながりがあったりするんです。


悲しいからこその温かい側面、

悲しみの持っている光の側面みたいなものを

見るようにするんです。


悲しみが持っている豊かな面に

気づけるような自分でありたいと思っていますね」

悲しみの中にある喜び

「悲しみと喜びを分けない」という考え方は、

私にとって新鮮でしたが、

「悲しみの中にある喜び」というのは、

すごくよく分かる気がしました。


私の恩師も「苦楽を共に」という言葉が好きでした。

「苦しみがあるから、楽しみがある。

苦しみのない楽しみは存在しない」とも言ってましたね。

悲しみと喜びを繋ぐのは「感謝」

ではなぜ、悲しみの中にも喜びがあるのかを考えてみると、

その二つを繋ぐのは「感謝」という感情ではないかと思った。


感謝って「人や世界との繋がりが感じられること」で、

孤独感の正反対の感情な気がするんですよね。


この本では、

喜びと感謝の関係に関して、このように述べています。

私 の 調査 で 喜び と 感謝 を 語る 人々 は、

それを人間の絆への信頼や人知を超え た 力 への 信頼 に 結びつく

スピリチュアル な 行為 と とらえ て い た。


幸福 感 と 喜び は はっきり と 区別 さ れ、

幸福 感 は 状況にまつわる 感情、

喜びは感謝をもって 世界 に 関わる 魂の態度を指していた。

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②ないからこその人生は絶対ある

「過去も大事だけれど、

過去から育てられた「今」を

どう生きるかという視点を持てたらなと思います。


ないからこその人生って、絶対あるはずです。

失ったからこその人生。


私は母からの承認をずっと求めていたけれど、

得られなかったという感覚がずっとありました。


うつ病だった母親からは

「あんたなんか生まれてこなければ良かったのに」という言葉を

投げつけられたこともあるけれど、


だからこそ、私がもし子どもを授かったら

きっと毎日うるさいほど

「生まれてきてくれてありがとう!」って言うやろうなと。


その尊さを知っているのは、

ないことを知っているから。


何もないわけではなくて、

ないからこそ何かがあるっていうところに目を向けられると

見えるものがあるんやないかなって思います」

うつ病だった母親

私もうつ病だった母親からは

「あんた達なんか産まなきゃよかった」と

言われたことがありますが


「何もないわけではなくて、

ないからこそ何かがあるっていうところに

目を向けられると見えるものがある」って、

本当にその通りだなぁ〜と思いました。


母との関係については、

いろいろ他にも書きたい気もしますが、

すでに長くなっているので、次回の記事に回します。

19歳で母を自殺でなくす

この記事でインタビューを受けている

尾角光美(おかく・てるみ)さんは、

2003年に19歳で母を自殺で亡くされたそうです。


彼女は、著書も出版しているので、

早速読んでみましたが、素晴らしい本でした。

また詳しくブログで感想を書きたいと思っています。

なくしたものとつながる生き方

なくしたものとつながる生き方

③あなたと私の境界

3点目に感動したのは、この部分です。

前回の記事で話していた「sympathy(同情)」と

「empathy(共感)」の違いなのかもしれませんね。

「「私は」っていう言葉をつけることは

日本では確かに嫌われると思うんです。

「俺は、俺はって言うなよ」って。


だから主語から消えますよね。

でもそれはすごく無責任なこと。


たとえば「あなた長男なんだからしっかりしなさいね」って

言うじゃないですか、日本人って。


でも本当は「私は、あなた長男なんだからしっかりしなさいねと思ってるのよ」という文に表してわかるように、

先の言葉では「私は」という主語が省略されている。


主語が消えることによって、

無言の圧力にさらされる感じがしますよね。

相手の境界線に近づく努力

ただ一方で「あなた、こう感じるのね。

だけど私は、こう感じるよ」って言うだけだと

ちょっと冷たい感じもするんですよね。


境界をはっきりさせつつ、


相手の境界線のところまで

できる限り近づく努力は必要なのかなって。


「今、あなたはこう感じてるのかな。

違ったら言って」と投げかけてみて返ってきたところから


「あっ、違ったんだ。そう感じてるんだね」って

ちょっとずつ理解を深めていけばいい。


「私」を消して「みんながこうだから」っていうふうにするのは、

ちょっと生きづらくなりますね。」

自他の境界線

自分と他人との境界線については、

私も以前から何度も書いていたので、共感しました。

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「主語をはっきりさせる」に関しては、

こちらの記事をご覧ください。

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まとめ

という訳で、今回の記事では、

誰かを亡くして悲しんでいる人への寄り添い方について考えてみました。


多様な意見の一つとして、

少しでも皆様のご参考になれば嬉しいです。

これからもGlocal Lifeをよろしくお願いします。

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