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面倒な議論は避けた方がいい?議論か対話かの見極め方

どうも、Glocal Lifeです。

今回の記事では、議論か対話かの見極め方について

考えてみたいと思います。

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引用ツイートが難しい

今回の記事を書くきっかけになったツイートは、こちらです。


面倒な議論は避ける

私なら面倒な議論に発展するのを、できるだけ避ける


なぜなら人は議論によって、

自分の意見を変えることは、ほとんどないからだ。


そうなると「どちらが正しいか」を論じる

パワーゲームに落ちてしまうことが多い。


そしてほとんどの場合は「どちらが正しいか」なんて

個人の価値観の問題なので、正解は存在しない

正解なんて無数にある

多くの日本人が「どちらが正しいか」の議論に固執する背景には

正解は一つしかないはずだ」という

歪んだ学校教育の影響がある気がする。


正解なんて無数にある」という風に思って生きた方が、

楽に生きられると私は思う。

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平行線の議論の不毛さ

「正しさ」とは主観的なものだ。


議論で相手の意見が変わることは、ほとんどないので、

いつまで話しても平行線になるばかりだろう。


その不毛さは、貧乳好きと巨乳好きの論争を思い出す。


その論争に勝つことは不可能だし、

人それぞれ多種多様な趣味趣向があるように、

人生の正解なんて人の数だけある

議論か対話かの見極め方

自分の意見を発表するのは、価値あることだと思う。

ただ自分とは異なる意見の人と論争に発展しても、

ほとんどの場合、議論は平行線を辿るだけの時間の無駄だと思う。


私なら議論なのか対話なのかを見極めて、

議論だったらすぐさま降りる


その見極め方は、

どちらが正しいかと証明しようとしているか否かだ。

対話が議論と異なる点

対話が議論と異なる点は、相手の意見を注意深く聞いて、

なるべく共感できる点に焦点を当てようとすることだと思う。


地球上に同じ人間は存在しないのだから、

全ての人の意見は自分と違っていて当たり前だ。


違いを前提とした上で、

共通基盤を探すプロセスが対話だと、私は思っている。

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「日本人 vs. 外国人」の危険性

日本人が面倒なのは、

同じ日本人相手には「私達は同じなはず」と押し付けるし、

外国人相手には「私達は違うので分かり合えない」と切り捨てる。


本当は日本人でも価値観の違う人は分かり合えないし、

外国人でも似ているタイプは割と簡単に打ち解けられる。


日本人と外国人の二分法的考え方は、あまり意味がない。


「日本 vs. 海外」の二分法は危険で、

各国の多様性を見落とす可能性が高い考え方だなぁ〜と思って

書いた過去記事は、こちらです。

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違いを前提に語れるか?

「日本 vs. 海外」の二分法の危険性については、

酒井直樹のhomolingual addressとheterolingual addressの考え方が

一番分かりやすいと思う。

日本思想という問題――翻訳と主体 (岩波人文書セレクション)

日本思想という問題――翻訳と主体 (岩波人文書セレクション)

要は同じ言語を話していても

人はそれぞれ違うんだ」という意識を前提に

話せるかどうかが大事だっていう話です。


アメリカの超一流大学のコーネル大学教授である

酒井直樹による論文は、こちらの記事でも少し紹介しました。

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日本では一般にあまり知られていないが、

世界のトップレベルにある知識人だと思う。


日本の知識人なんか目じゃないほど、世界での知名度も高い。

酒井直樹の著作

興味のある方は、酒井直樹のその他の著作はこちらです。

日本/映像/米国―共感の共同体と帝国的国民主義

日本/映像/米国―共感の共同体と帝国的国民主義

希望と憲法 日本国憲法の発話主体と応答

希望と憲法 日本国憲法の発話主体と応答

増補“世界史”の解体―翻訳・主体・歴史 (以文叢書)

増補“世界史”の解体―翻訳・主体・歴史 (以文叢書)

まとめ

以上、今回の記事では、

議論か対話かの見極め方について考えてみました。


多様な意見の一つとして、

少しでも皆様のご参考になれば嬉しいです。

これからもGlocal Lifeをよろしくお願いします。

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