Glocal Life

自分らしさを大切に、世界とゆるく繋がるブログ

人の本音に触れれるブログの楽しさ!でも誹謗・中傷は書きたくない!

ブログの楽しさの一つは、世間体ではない本音の部分に触れれることだと思う。

イメージとしては、真っ暗な穴や夜の海に向かって、

自分の本音をブチまける感じだ。

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自分の本音を晒しても、

「シーン」と反応が何もない時もあるし、


思いもよらない呟きや反応が、

真っ暗な中から戻ってくることがある。


それはそれで面白い。

人を傷つける言葉は、自分も傷つける

そういう匿名性がネットの面白いところではあるが、同時に危険な所でもある。
匿名性は、時に人の攻撃性や凶暴性を増幅するからだ。

それでも、自分はなるべく人の悪口は書きたくない。

私は、人を傷つける言葉を自分の口にする時に、
それを一番近くで聴いているのは、自分の耳であり、

人を傷つける言葉を書く時に、
それを一番最初に読むのは、自分の眼だと思っている。

人を傷つけるために発した言葉は、相手に届く前に、まず自分自身に届いて、
知らない内に、自分の心の繊細な場所を汚染しているのではないだろうか?

悪意ある言葉から距離を取る

自分自身を悪意ある言葉から守るためにも、
自分ではあまり言ったり、書いたりしたくない。

人が悪意ある言葉を吐くかどうかは、
私がコントロールできない部分だから、しょうがないけど、

自分がコントロールできる部分は、自分自身を守りたい。
悪意ある言葉を吐く人から距離を取るとか。

悪口を言わない人間は一緒にいて心地よい

中学・高校時代の部活の友人の一人で、
日本に帰国するとよく会う友達がいる。

その友達の名前を仮にAさんとしておく。

Aさんは看護師をして、休みが不定期でなので、
私が日本に夏休みなどで帰国してブラブラしている時に、
週末しか休みのない会社員の友人より、遥かに予定が合わせやすい。

だたそれを差し引いても、Aさんといるのは居心地が良くて、頻繁に会っている。
何故Aさんと一緒にいる時に、居心地の良さを感じるか考えてみると、

私は中学・高校時代から20年にわたるAさんとの付き合いの中で、
Aさんが人の悪口を言うのを、ほとんど聞いたことがないのに気がついた。

悪口や愚痴は諸刃の剣

悪口や愚痴というのは、大きなエネルギーがある。

誰にでも話すことではないので、その心の内をさらけ出すことで、
「あなたを信頼しているのです」というメッセージを伝えて、
親密度を上げることにもなる。

しかし、それは諸刃の剣でもある。

「人を呪えば穴二つ」と言うように、人に悪意を向ければ、
ブメーランのように、いつか自分自身に返ってくるのではないだろうか?