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ミュージカルはグローカルな文化運動:アメリカの大衆娯楽比較まとめ(その3)

前回と前々回の記事では、アメリカの大衆娯楽比較として映画やテレビを論じた。

今回の記事では、ローカルな運動としての演劇の代表的なものとして
アメリカのミュージカルについて語りたい。

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ローカルな運動としての演劇

映画やテレビと比べると、私の中では、演劇はローカルな運動に感じる。
分かりやすく纏めると、このような感じだろうか。

映画=グローバル
テレビ=ナショナル
演劇=ローカル

物凄くアメリカ的なミュージカル

私は、アメリカのミュージカルは、物凄くアメリカ的だと思う。
その良い例が、ウェストサイドストーリーだ。

このミュージカルは、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」を
ニューヨークのポーランド系とプエトリコ系のギャング抗争として舞台化した物だ。

アメリカらしい音楽やダンスに加えて、悲劇が嫌いなアメリカ人向けに、
最後は恋人同士が結ばれて幸せになるハッピーエンドで、

原作の「ロミオとジュリエット」の物語が、ほぼ跡形なくなるほど、
完璧にアメリカ化している。

そもそも、難しい筋書きがなくても、歌と踊りと音楽で、雰囲気を作って、
観客を楽しませるというのが、演劇大国の英国とは一味違ったアメリカらしさだと思う。

ローカルで自由な空間

映画とミュージカルの関係も深く、映画をミュージカルにしたり、
逆にミュージカルから映画へなったりする作品も多い。

有名なレミゼラブルやレントなどは、その代表作だろう。

ただ映画になると、巨額な資金が動き、
グローバルな販売戦略を練らなけれないけないのに比べ、
ミュージカルを始めとする演劇媒体は、もっとローカルで自由な気がする。

私は、このような勝手気儘に好き勝手にしているミュージカルの
自由な空間としての雰囲気が好きだ。

少数者(マイノリティー)の自己表現

あと、テレビがナショナル・アイデンティティーを支える物として、
アメリカという国の大多数の声を代表し、同化のプレッシャーを与えるのに比べ、

演劇やミュージカルというのは、
少数者(マイノリティー)の自己表現を許してくれる空間のように感じる。

大ヒットとなったWICKEDやRENTといったミュージカルは、
社会の大多数者(マジョリティー)とは異なった意見を表明する
少数者(マイノリティー)達に焦点を当てた作品群だ。

私はアメリカの映画やテレビには、「自分は余所者の外国人で、
アメリカ社会に同化しない限りは受け入れてもらえない」
というような居心地の悪さを感じるが、

アメリカのミュージカルでは、私のような少数者(マイノリティー)も
息をつける空間を確保してくれているように感じて、とても心地よい。

アメリカ滞在中に見た大好きなミュージカルは多々あるが、
それはまた次の機会に、述べたいと思う。

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