本物のコミュニケーションは予測不可能!柳の下にドジョウはいない!
「柳の下のドジョウ」
ブログを始めて、この言葉をよく思い出す。
柳の下のドジョウとは…
「一度柳の木の下で、どじょうを捕まえたからといって、
いつも柳の木の下にどじょうがいるとは限らないことから、
たまたま幸運なことがあったからといって、
いつも同じようにそれを得られるわけではないということ」のたとえです。
ブログも同じ
私にとってのブログの経験とは、「柳の下のドジョウ」と似ているな〜と思う。
前にヒットした記事の経験を元に書いてみても、上手くいかなかったり、
独り言みたいに呟いた記事が、アクセスを大きく呼んだり、
なかなか予測できない。
予測不可能性がコミュニケーションの基本
でも、その予測できなさが、人間のコミュニケーションの基本だと思う。
以前の記事でも書いたが、
イメージとしては、真っ暗な穴に自分の本音をブチまける感じだ。
自分の本音を晒しても、「シーン」と反応が何もない時もあるし、
思いもよらない呟きや反応が、真っ暗な穴の中から戻ってくることがある。
それはそれで面白い。
私個人は、そのコミュニケーションの予測不可能性を楽しんでいるので、
目の色を変えて、次のドジョウを探し回る気にはなれない。
「ブログ飯」とは異なる意見
そういう面で、「ブログ飯」の筆者とは、私の考えは異なると思う。
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「ブログ飯」では、「バズは狙って起こせ!」ということを強調していた。
「意図できなかったバズは、たまたまのラッキーで、アマチュアの証」
「狙って起こしたバズほど、ブログで飯を食うプロの証だ」という
メッセージだったと思う。
ブログは金儲けの手段か?
「ブログ飯」の作者は、人柄の良い方だと思うけど、
基本的には、ブログを主にお金儲けの道具として見ている。
専業主婦と小さなお子さん(と猫)を養わなければいけない
一家の大黒柱としては、その責任感は尊いと思う。
少数派のコミュニケーションの場
しかし、私にとっては、ブログは単なる金儲けの手段ではない。
私にとってのブログとは、社会の中では少数派で生きずらい人間が、
コミュニケーションを求める場だ。
そして、人間のコミュニケーションとは、
相手がどのように反応するか予測不可能だから面白いと思う。
海に流す手紙とブログ
以前にも述べたように、私にとって、
ブログを書くことは、手紙を海に流すのに似てる。
実際に、自分と同じように感じる人間はいなくて、
自分の記事も誰にも読まれないとしても、
「誰かに読まれるかもしれないし、誰かの心に届くかもしれない」という
「可能性」があるだけで、
「こんな風に思うのは自分一人だ」という孤独感が癒される気がする。
まとめ
今回の記事では、「柳の下の泥鰌」のことわざを通して、
「人間のコミュニケーションというのは、もともと予測不可能なんだよ」
という話から、ブログを「お金儲けの道具」として考えるか、
「コミュニケーションの手段」として考えるかということを論じてみました。
もちろん、お金も大切なので、今度の記事では、
お金との付き合い方についても、考えてみたいと思います。