理想と現実の違い?もっとアッサリ淡々とした文章のスタイルに憧れる
どうも、Glocal Lifeです。
今回の記事では、文章のスタイルについて考えてみたいと思います。
英語から訳された日本語に似てる
もっとアッサリ淡々とした文章を書きたいと思う時がある。
自分の文章を読み返して時々胃がもたれる。
性格の問題だろうかとも考えたが、
英語から訳された日本語の本を読むと、
自分の文体とよく似ていると気がついた。
論理的だが感情的でやや芝居がかっているのだ。
そして全てを言葉で説明しないと気が済まない
自分と違うものに憧れる
人生の半分近くをアメリカで過ごした私が、
このような文章のスタイルを身につけてしまったのも、
しょうがないのかもしれないし、
これからのグローバル社会に有利かもしれないが、
個人的な好みとしては、
俳句のようなアッサリした文体が好きだ。
ただ自分と違うものに憧れるのも人間の性なのかもしれない。
書きやすいスタイルと憧れは別?
自分と違うものに憧れると言えば、
私は猫毛の天パーなので、
小さい頃から、直毛に憧れていた。
今でもまっすぐした髪に憧れるが、
自分には手に入らないものだと知っているし、
自分の天パーもそんなに嫌いではない。
自分の文体に関しても、同じなのかもしれない。
書きやすいスタイルと憧れは別なのかもしれない。
パソコンとスマホの読ませどころ
ついでに、文章に関して最近「なるほど」と思ったツイートも
紹介しておきます。
人に読ませる文章を書く時は、ある程度「強い単語」や「読ませどころ」を作るんだけど、それって「パッと見える範囲で一ヶ所くらい」って感覚なんですよね。パソコン画面で一ヶ所とか。それをスマホで見ると改ページが増えてやや散漫に見えるし、逆にスマホに合わせるとバタバタした文に見えちゃう。
— たられば (@tarareba722) 2016年7月20日
まとめ
という訳で、今回の記事では、
文章のスタイルについて考えてみました。
結論としては、以下の3点です。
1)自分の文章は、翻訳本の文体に似ている。
2)俳句のようなアッサリした文体に憧れる。
3)書きやすい文体と憧れは別かもしれない。
多様な意見の一つとして、
少しでも皆様のご参考になれば嬉しいです。
これからもGlocal Lifeをよろしくお願いします。