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日本人と逆?踊りはノリノリだが、歌は異様に恥ずかしがるアメリカ人

どうも、Glocal Lifeです。

これまで私は、アメリカ人は、日本人と比べて、
羞恥心など、お母さんのお腹の中に忘れてきたと思っていたのだが、

今日の学生のイベントを観察していて、
日本人とは若干違う、アメリカ人に固有の羞恥心のツボがあることに、気がついた。

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ダンス好きのアメリカ人

私が「アメリカ人は羞恥心が極端に薄いんじゃないか」と思っていたのは、
ダンス好きの国民性に、寄る所が大きいかもしれない。

どんなにダンスが下手な人でも、
皆の注目を浴びる壇上で、楽しそうに踊っている。

ダンスは他人に見せるためではなく、
自分が楽しいから、踊っているとでも言いたげな風潮だ。

歌は恥ずかしがるアメリカ人

楽しそうに踊っているのを、見ている分は気持ちのいいので、
他人も無理やりに踊らそうとしなければ、別に問題は何もないのだが、

このようなダンスの文化から、
アメリカ人は、他人がどう思おうが、全然気にしないと思っていた。

しかし、前から、薄々と感じていたのだが、ダンスに比べると
歌に対しては、一般のアメリカ人は、異様に恥ずかしがっているように思う。

気がついてしまえば、納得できる節も多々ある。

教会での合唱もそうだが、アメリカでは、「人前で歌う」ために必要な歌唱力の要求が、
一般的に、日本よりも、遥かに高い気がする。

人前で歌う機会が皆無

まず、アメリカでは、よっぽど自分の歌に自信のある歌の専門家でなければ、
人前で歌う機会が、極端に少ない。

日本では、それこそ、幼稚園の時から、お遊戯会で歌を歌うし、
小学校や中学校の時から、音楽のテストで一人で歌わされたり、
全校の合唱コンクールなどで、人前で歌わされる機会は山ほどある。

それこそ、学校行事のたびに、みんなで校歌を歌わされたりする。

アメリカでは、まず校歌を歌う習慣がない。

幼稚園から高校までの義務教育でも、
音楽の授業で無理やり歌わされたという話も、聞いたことがない。

代表の生徒のみが歌う国歌

アメリカの学校行事では、必ずアメリカ国歌を歌う。

しかし、日本の学校行事のように、全校生徒が一斉に一緒に歌うのではなく、
合唱を専門に勉強している生徒の代表が、アカペラで歌うだけだ。

代表で歌っている人以外は、だいたい胸に手をあてて、静かに聞いている。

時々、一緒に口ずさむ人もいるが、
あくまで「自分一人が聞こえる程度に口ずさむ」のがマナーだ。

なぜなら、その場は、
合唱を専門に勉強している生徒の代表が、アカペラで歌う晴れ舞台の機会であり、

周りの人たちは、その代表の生徒の歌声を、
神妙に聞いて、耳で楽しむべき時であるからだ。

その生徒の歌声を邪魔するような大声で歌うのは、大変に悪質なマナー違反だ。

人前でダンスは沢山する

冷静に検討してみると、確かにアメリカ人は、普通の学校生活で、
人前で歌を歌う機会など、他の人と一緒の合唱であっても、皆無に等しい。

代わりに、人前でダンスをする機会は、山のようにある。
アメリカの高校で有名なプロムなどは、その良い例だろう。

matome.naver.jp

羞恥心とは場数の問題

このように考えると、羞恥心とは、単なる場数の問題のような気がする。

「校歌斉唱」の学校文化で慣れている日本人にとっては、
(中には、「会社の歌」などを朝礼で歌わせる会社もあると聞く)

別に恥ずかしくも感じない「人前での合唱」が、
普段は羞恥心の欠片もないような態度のアメリカ人が恥ずかしがっているのは、
なんとも、不思議な感じがする。

羞恥心と言っても、結局は文化の産物で、刷り込みの部分が大きいことに気がついた。

まとめ

今回の記事では、踊りはノリノリだが、歌は異様に恥ずかしがるアメリカ人を分析して、
「人前での合唱」に慣れている日本人とは逆の羞恥心の存在を説明した。

ふてぶてしいアメリカ人の友人や知人、上司や部下などがいたら、
人前で歌わせて、恥ずかしがらせるのも、一つの手かもしれない(笑)

これからもGlocal Lifeをよろしくお願いします。

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