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「ゴミ捨て」と「電車の中」から考察?公共空間インターネットの未来

前回の記事では、インターネット上での多様な意見を
尊重できない人に共通の資質を3点紹介したが、

「新しい公共空間を、どのように使用するか」の合意作成には、
ある程度の時間、少なくとも30年以上は、必要になるだろう。

今回の記事では、「ゴミ捨て」と「電車の中」という身近な公共空間の考察から
インターネットの未来を考えてみたい。

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環境に対する意識の低さ

現在のインターネットのモラルの低さは、
公害問題が浮上する前の、地球環境に対する人間の意識の低さを思い出す。

昔は、工場や家庭用排水も、処理もせずに、好き勝手に垂れ流していたし、
ゴミも好きな所に、好きなように捨てていた。

しかし、地球という「公共空間」での、そのような自分勝手な振る舞いは、
環境汚染の公害問題として、手痛いしっぺ返しとして戻ってきた。

私は、インターネット環境も、同じようなものだと思う。

「最低限のルール」が確立

今現在は、きちんとした制度もモラルもなく、好き勝手にしているが、
近いうちに、「インターネットは公共空間である」という意識と
「最低限のルール」が確立するようになると思う。

現在の私たちが、ゴミを捨てたい時に守るルールと同じだ。

人間なんだから、生きている限りゴミは出る。
どんなゴミを出そうが、何を捨てようが、それはその人の自由だ。

共生するための規則

ただ実際に「ゴミ捨て場」という「公共空間」に、
自分個人のゴミを持って行く時に、

「最低限のルール」を守らないと、周りが迷惑して、
最終的には、自分も窮地に追いやられる。

「公共空間」というものは、そういうものだ。

基本的には、自分の好きなことをしてもいいが、
「最低限のルール」を守って、周りに迷惑をかけないということだ。

「電車の中」の公共空間

身近な「公共空間」である「電車の中」でだってそうだろう。

基本的には、電車の中で、何をしようが自由だ。

本を読んだっていいし、携帯をチェックしてもいいし、
隣の友達と話してもいいし、疲れたら寝てもいい。

(寝ている間に、荷物を盗まれても自己責任だが)

ルールの中での自由

自分の好きなことをしてもいいが、
そこには、同じ電車に乗っている人に迷惑をかけない
「最低限のルール」が存在する。

携帯電話で大声で話したり、
異臭のする食べ物(ニンニクとか納豆とかドリアンとか)を食べるのはNGだし、
ましてや、痴漢なんかは犯罪だ。

まとめ

様々なサイトによると、日本でゴミの分別が問題にされたのは1960年代から、
現代のような分別法に落ち着いたのは、1990年代に入ってからだそうだ。

「ゴミ捨て」という「協働型コモンズ」の合意作成にも、30年以上かかったわけだ。

www.shutoken-env.co.jp

以前の記事でも述べたように、インターネットが一般に普及し始めてから、
まだ15年ほどしか経っていない。

インターネットの負の面が脚光を浴びたのも、ごくごく最近のことだ。

この画期的な情報革命の道具を、人類社会がどのように使いこなしていけるかの
真価を問われるのは、これからかもしれない。

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