Glocal Life

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アメリカに対する「割り切れない感情」!好きだけど、認めたくない!

前回の記事で「アメリカに住んでいなかったら、
宇多田ヒカルの曲も今ほど聴いていなかっただろうから、
好きな歌手と認めたくない」という趣旨の記事を書いたが、

私のアメリカに対する複雑な感情も、
宇多田に対する「好きだけど、好きだという事実を認めたくない」
という気持ちに、似ていると思う。

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アメリカに対する複雑な感情

私のアメリカに対する複雑な感情は、ブログタイトルによく表れていると思う。

ブログタイトルの「アメリカ読書生活」で、
「読書生活」の部分は、私の日々の生活を表していて気に入っているのだが、

(最近は「読書生活」より「ブログ生活」になってるかもしれないが…笑)

「アメリカ」の部分が、どうもしっくりこない。

ブログタイトルに「アメリカ」を入れたくない

「アメリカ読書生活」というタイトルが、ぴったりだと思う気もあるのだが、
自分のブログタイトルに、「アメリカ」を入れることに対する反発心も強い。

他の案として、
プロフィール記事の「glocal (global+local)な生き方を模索中」から取って、
「グローカル読者生活」というのも考えたのだが、

kbooks.hatenablog.com

グローカルが定着していない

ブログに遊びに来る人の全員が、プロフィール記事を読んでくれる訳じゃないし、
ネットでザッと調べてみても、「グローカル」という言葉は、
日本では、まだあまり定着していないようだ。

(グローカルに関する記事は、こちらもどうぞ。)

kbooks.hatenablog.com

プライベートは「アメリカ」に侵略されたくない

読者のことを考えたら、
「アメリカ読書生活」というタイトル一番分かりやすいのは、理解できる。

なぜ私は、このタイトルに、こんなに不満を感じているのかの理由を考えてみたら、
私の中で、ブログという自分のプライベートな領域まで、
「アメリカ」に侵略されている感じがするからだと思う。

アメリカ生活の公的と私的な部分

私はアメリカに15年間住んでて、
公的な部分では、英語を使って、アメリカ流のコミュニケーションを受け入れているが、
私的なプライベートでは、日本語の本を読んだり、日本語で話したりしたい。

アメリカに住みながら、日本語で書いているブログという、
自分にとっては「アメリカ生活の公的な部分に還元されない」プライベートな領域に
「アメリカ」という名前を付けるのに、抵抗感があるんだと思う。

「アメリカ」に対する「煮えきれない」感情

こんな話をすると、「そんなにゴチャゴチャ言うなら、
ブログのタイトルなんて自由なんだから、さっさと好きに変えたらいいじゃないか?」
と思われる方が、大多数だと思う。

私も他人がこんなことを言っていたら、そのような反応しかできないと思う。

しかし、こんなにグタグタ書いておきながら、
「じゃあ、実際に、ブログタイトルを変えたいのか?」と言われたら、
「う〜ん」と考え込んでしまうほど、私の気持ちも煮えきれない。

人生には「割り切れない感情」が多い

それは「アメリカはもう嫌だ〜!日本に帰りたい〜」と思いながら、
ズルズルと15年も住み着いて、
永住権までもらってしまった私の「煮え切らなさ」でもあり、

「仕事を辞めたい〜」と思いつつ、
学生と興味深い話ができた時などは、「やっぱり、この仕事は楽しいな〜」
と思ってしまう「割り切れない気持ち」でも、あるんだろう。

人生には、すっきり「好き・嫌い」で割り切れる感情よりも、
「割り切れない感情」の方が多い気がする。

それが、人生の複雑さとも言えるんじゃないだろうか?

こんなにグダグダ書いておきながら、
そんな曖昧な言葉で、今回の記事は締めさせてもらいます(笑)

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私の「煮えきれなさ」を、もっと知りたい方は、
こちらの記事も合わせてどうぞ(笑)

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