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欧米の文芸批評の常識に学ぶ!ブログ記事は「作者から独立した存在」

前回の記事の「朝、起きたらブクマ数が200超で、

アクセスも1日で1万あって、

すごいビックリしたよ!」という記事の続きです。


今回は、私の専門の比較文学の分野から、

ブログ記事を「作者から独立した存在」として扱う考え方を紹介します。

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我が子の巣立ちを見る親の心境

以前のバズった記事で、たくさんの方に私の記事を読んで頂けたのは、
もちろん、純粋に嬉しいですが、
ブクマのコメント欄を見ても、様々なコメントが付いてるし、

ここまで来ると、「この記事は私の手を離れて、ネットの大海で、
(私が寝ている間に)一人で強く生きてきたのだな」という感じで、

我が子の巣立ちを見ている親の心境です(笑)

我が子の成長は、もちろん嬉しいんだけど、
離れてしまう寂しさも禁じ得ないって感じですかね。

あの記事限定で、返信がほしい場合はコメント欄

という訳で、ブクマ数が多くて、バズった記事は、

すでに私の手を離れた「一個の独立した存在」として扱うので、
あの記事に関するコメントは、特に読まないし、返信もいたしません

どうしても、私の返信や反応がほしい場合は、その記事限定で

ブクマではなく、記事下のコメント欄からお願いいたします。


ブクマ数が30個以下の普通の記事の場合は、

ブクマのコメントも、基本的にはチェックしていて、

明らかに返信が必要な場合は、きちんと対応いたしますので心配無用です。

記事を「作者から独立した存在」として扱う

「自分の書いた記事を『一個の独立した存在』として扱う」なんて
変な考えだと思われるかもしれませんが、

私が専門としている比較文学の分野では、
このような考え方は、当たり前なんですよね。

少し詳しく言うと、

「例えAさんが書いた文章であっても、Aさんが書き終えた時点で、

その記事はAさんの手元を離れて、独立した存在となる」という考え方です。

「作者の死」という概念

1960年代ごろに、フランスの哲学者のロラン・バルトが
「作者の死」と名付けて提唱してから、主流になった概念です。

手っ取り早く言うと

「書かれた文章について論じる時に、その文章に関してだけを論じて

作者については一切言及するな」ということです。


なので、実際には作者が生きていたとしても、その文章の中では、

作者は「存在しない=死んでいる者」として扱え、という意味です。

私は比較文学の学者なので、学術的な論文にしても、趣味で書いてるブログにしても、
自分の書いた文章の全てに対しては、基本的には、このような立場を貫いています。

34人の新しい読者に感謝!

ブログのブクマ数の話から、何故だか専門的な話になってしまいましたが(笑)

今回バズったことで、一番嬉しかったのは、
34人の新しい読者が、登録してくれたことです!

内訳としては、facebookもtwitterも、ブログとnoteの更新お知らせ用なので、
はてなブログで19人、Feedlyで2人、facebookで1人、twitterで12人です。

ちなみに、noteのフォローも増えましたが、
今回のブログの記事の「Buzz」とは関係ないので、割愛します。

1記事限定の「Buzz」ではなく、

わざわざ読者登録して下さったということは、

「ヒマがあったら、このブログの記事を、これからも読んでやってもいい」

という意思表示だと解釈しています。

皆さんのご期待に沿えるような良記事を書けるように、

精進してまいりますので、

これからもどうぞよろしくお願いします。

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「そんなにバズった記事なら一度見てやろう!」という方は、こちらからどうぞ(笑)
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